【三浦コラム】日本人がシンガポールを理解する為に留意する事

 近年、本やインターネット、そしてテレビなどでシンガポールの記事が多く取り上げられるようになりました。シンガポールに長年住む私にとっても嬉しいところですが、そういう記事やテレビ番組などに触れると、疑問に思う事もあります。
 それは今一つ、シンガポールを称しての言葉の中に、何か違和感を覚える時があるからだと思います。

 例えば、そういう中でもシンガポールを一党”独裁”だという言い方を耳にしますが、果たして単純にそうでしょうか?

 シンガポールは政府与党主導の選挙区の区割りではあるものの、民主的な選挙が定期的に行われています。
 初代首相と現在の3代目首相が親子である事から、世襲だと報道した外国の報道機関が正式に謝罪をした経由もあり、実際現首相のかじ取りは、私の職場や身近なシンガポール国民の声を聞いてみても、よくやっているという感想です。
 与党が長年、政権を担っているというのは事実ですが、では日本の自民党政権は短期間を除き何年の政権与党であるか、自らの国を顧みる必要を示したいと思います。
 ではシンガポールの野党はどうなっているのか?と言えば、残念ながら人材的にも政権担当能力がないのは、誰の目から見ても確かな事なのですが・・・・・・。

 シンガポールを揶揄する日本人の言葉には(昔から言われる日本人の悪いところですが)、深層意識でアジア人を見下している面があるのでは?と、少しばかり考えるところがあります。

miura-feb16 確かにシンガポールの政治は、過去において政権与党と野党との闘争の歴史でもあります。過去野党政治家を訴訟という手を使って、徹底的にその力を削ぐ事もためらわなかったのは事実です。先日、一時労働党を率いたフランシス・シャオ氏がボストンで死去しました。この事にある種の感慨を抱いた年配のシンガポール人も少なくはないでしょう。
 ただ、時代・世代は変わっていきます。建国時の激しい時代を、肌感覚では知らぬ年代も多くなりました。インターネットの発達で即時に海外での情報も入手可能となりました。
 それに合わせて、ここ過去2回のシンガポールの総選挙をみるに、窮屈さを感じる時代も過去になってしまったと思えます。

 シンガポールにおいて、他宗教や他民族への侮蔑的行為が、厳しい処罰の対象である事は、現在の世界情勢からみてどうなのか?と考える必要はあるでしょう。
 デモ集会の禁止なども、シンガポール独立時の民族対立などを根に持つ当時の爆弾テロの多発と合わせて、その背景を鑑みる必要があるでしょう。

 とにもかくにも、シンガポールを理解しようとする中で、我々日本人は異なる政治経済文化背景を持つ異国である事を尊重する意識は、忘れてはなりません。