【三浦コラム】リークワンユー元首相の国葬について思う事

 3月23日(月曜日早朝)に死去されたリークアンユー元首相の国葬が、1週間の喪を経て、3月29日(日曜日)に行われました。国葬には日本の安倍総理大臣も参加したので、日本に住む皆さんも報道等で目にした方もいらっしゃるかも知れません。

 独立後のシンガポールの初代首相として辣腕をふるってきたリークアンユー元首相の死去、その国民の反応には驚かされる面もありました。
 長年シンガポールに住み、シンガポール人の妻を持つ私にとっても、経験した事のない周囲の反応を感じました。一種独特な熱気とでも言えるでしょうか?もうこの様な事は、この国シンガポールでは、この先起きる事はないでしょう。

miura-apr1 たくさんの国民が国会に弔問に訪れ、その数は公式発表によると約454,700にも及んだそうです。自発的な行為による弔問のこの人数はさすがのシンガポール政府でも予想していなかった様で、テレビでは速報で待ち時間が随時8時間~10時間と発表され、国内に複数設けられた献花台の方へ行って下さいと呼びかけると共に、急遽24時間の受け入れ態勢と国民が並ぶスペースの変更と確保となりました(27日金曜日の深夜から朝にかけては数時間受け入れゲートを閉鎖したくらいでした)。また、各閣僚も国会周辺に出て、国民をねぎらいに挨拶にまわるという異例の形となりました。

 私自身はあまりの人出にいったん諦めていたのですが、妻と話し合い、やはり行く事にしました。
 国会の遺体安置所に28日(土曜日)の16時に並び、18時に棺のある場所につき、ご冥福をお祈りしました。日本では定年世代であり、体調のすぐれない妻を持つ身としましては、優先レーンが設けられていたのは助かりました。妻もとても行きたがっていたので、よかったと思っています。

miura-apr2 色々なシンガポール人(主にミドルクラスと言えるでしょう層以上)とのお付き合いがある私としては、今回興味深い事に気が付きました。
 リークアンユー元首相は、権力の使い方を(ご本人が日本人は残酷だったと言った)日本から学んだと、占領時代を回顧して述べる機会があったそうですが、ご本人と与党PAPの姿勢は、国民の生活向上(生活インフラの整備を進めるなど)を図る反面、政治的に反対する勢力には猶予を与えない政治スタイルであったと思います。
 実際、シンガポールの知識層の中には、その姿勢が高圧的だと批判の声もあり、私の周りでもその様な声を聞く事が前々からあったと記憶しています(日本人の中にはシンガポールでは言動の自由がないと勘違いされている方もいらっしゃる様ですが、それは正確ではありません)。
 この事は最近シンガポールに来られた方や最近のシンガポールを見ている方は想像できないかも知れませんが、首相時代を肌で知る私も
には体験的に頷ける点でもあります。

 ただ、今回の国葬までの一連の時期くらいから、そういう態度だったシンガポール人の友人の中にも、国会に弔問に出かけ、国葬への沿道に並んだ人達も少なくありません。

 死去された時からのTVで、独立時の元首相が涙を流す有名な歴史的なシーンの放送など(既に準備されていたであろう、よくできた特別番組の放送が続きました)の連続に影響をうけなかった訳ではないでしょうが、シンガポール国民それぞれが自分の思いを持って、リークアンユー元首相を見送ったと思えます。

 アンチ与党の人も含めて素直に元首相の実績を評価、外国の要人等からの弔辞や弔問を誇りに思う気持ちを感じたと思えます。
 奇しくもこの期間に、この国が長年目指していた国民意識、改めてシンガポール人としての一体感を持ったのではないでしょうか。

 国葬の日は、所要があり出かけていましたが、火葬場までの葬列に会う事ができたのは幸運だったと思っています。
 対向車線でしたが、私達の方の車線の車がいっせいに停まり、15分後に葬列が前から後ろへと去って行くおりに、「お疲れ様」との気持ちを込めて、妻と2人で手を合わせて改めてご冥福をお祈りしました。

 建国50周年の今年は、8月のナショナル・パレードもより盛大なイベントとなります。
 その後、総選挙はいつになるか?これがシンガポール人の話題に上ってき始めました。

*写真は、弊社のあるSGX(Singapore Exchange シンガポール証券取引所)のビルに掲げられた追悼掲示です。この様な掲示が各地で見受けられました。

リークアンユー元首相の追悼ウェブサイトはこちらをご参考下さい