【三浦コラム】シンガポール人の雇用についての省察(歴史を踏まえて)
前回はシンガポールの会社制度と設立におけるビザ取得の注意点について直近の変化を踏まえて簡単にご説明しました。今回は私たち外国人のビザ発給などにも深く関係してくるシンガポール人の雇用について考えてみましょう。
シンガポールの印象は旅行者には清潔なガーデンシティという印象でしょうか?
一方、ここで仕事をする外国人としては、外資・またその労働力をうまく導入し、自国の発展をしてきた国、そう感じる点もあるのではないでしょうか。
現在コンサルタント業をしている私が駐在員として当地に赴任したのは、1976年でした。今はチャンギ空港という東南アジアでも有数のハブ空港がありますが、私が降り立ったのはパヤレバの空港でした。すでに1965年の不本意であったマレーシアからの分離独立から、12年後です。
シンガポールの歴史にご興味を持たれている方は、すでにご存知のように独立後のシンガポールは数々の試練にぶつかっています。
その中でも最重要課題のひとつが雇用の創出・維持・安定です。自ら市場を持たない国であったこと。独立後の英軍の撤退。
時の首相(現在顧問相)、リー・クアンユー氏の回顧録にも書かれてあるように英軍撤退は国防だけでなく、市場を持たない都市国家にとっては雇用という観点からも問題だったのです。
今考えるとシンガポール人の雇用も1976年は厳しかったのかもしれません。
日系企業の総務担当者として赴任してきた私自身、1978年くらいまでは、求職者であるシンガポール人の応募者が多く集まり「求人」側として難なく人を集められた時期であったことが記憶にあります。よって、この時期はシンガポール人もすべての人が職を得るのは、まだ大変だったのではないかと考えられます。
これは、3Kと言われる仕事だけでなく、オフィスでも外国人が多く働いているという現在の状況からは想像もできないかもしれません。
今思い起こせば、あの時期は外資の誘致の効果が軌道に乗るその過渡期だったのでしょう。すでに政府の外資導入の政策はうまくいっていたようでしたが、それを追いかけるように国民の雇用機会は増えていったのでは、と考えられます。
賃金の底上げを政府が主導して進めた1980年代前半は雇用の安定を満たした上での所得の上昇というまさに国の経済が発展し、その富を国民に享受させるということを政府がバックアップして進めてきたということに他なりません。
反面現在、景気後退したリーマンショック後のシンガポール国民の雇用を守るという姿勢は、ここ最近の外国人のPR(永住権)申請の取得が困難になっている事実とも関係ありそうです。
ここ最近の諸々の政府の方針の中には、悪化したと言われる失業率の中でシンガポール人の雇用を守るという政府の意思を感じます。