【三浦コラム】12月に起きた外国人ワーカーの暴動に考える事

昨年12月8日(日曜日)の夜、リトル・インディアでインド人ワーカーの交通事故を発端とした外国人ワーカーによる暴動が起きました。暴動自体も1960年代の民族対立を最後だったくらいに、シンガポールでは極めて異例な事でした。
今回はこの事について考えてみます。

週末のリトル・インディアに足を運んだ方は一目瞭然でしょうが、週末となるとリトル・インディア周辺は、シンガポールに出稼ぎに来たインド人、バングラディッシュ人の集まる一種憩いの場となっています。集まる多くの人達はシンガポールでの単純労働(建築現場や清掃員)を担うワーカーの人達です。
そういう中、原因となる死亡事故が起きました(死亡事故自体は、後の報道によると、酔っぱらった本人の過失も否定できないものの様でもあります)。
この死亡事故が暴動のきっかけになり、数台の車が燃やされたりする事態になりました。

miurajan14 数時間で暴動を鎮圧した後の治安当局の行動の早さは、目を見張るものがありました。
その後の警察のプレスリリースによると、28人逮捕起訴、53人国外追放、200人注意勧告。そして、リトル・インディアは、その後週末のアルコール類の販売が禁止されるなどの措置が取られました(現在は規制解除も制限あり)。

ここで思い出すのは、約1年前に起きた中国人のバス運転手のストライキです。またしても外国人ワーカーによる反社会的行動の再発と捉えられます。

では、外国人ワーカーはシンガポールでの給与を不満に思っているのでしょうか?
確かにシンガポールでは薄給かも知れません。しかしながら、自国へそのお金を持ち帰るという事が前提であれば、自国で働くよりも高額な給与であるはずです。その為に、多くの外国人が業者にお金を払ってまでもこの国に来るのです。

これは個人的な感想なのですが、この国で働き、自国で働くよりも多くの収入を得られる事に感謝しつつも、シンガポール人を横目に見て、人ならでの不条理を感じる気持ちがどこかにあるのかも?と思えるのです。
生まれた国で、その労働環境が変わる。受け入れなくてはならない現実。この事は現在の豊かな恵まれた国に育った日本人は、あまりピンとこない人もいるかも知れません。

外国人ワーカーと言われる単純労働を担う人達の移動手段等を目にすると、眉をひそめる人も居るかも知れません。シンガポールの新聞の投書欄にもトラックの荷台に乗せられている外国人ワーカーの処遇に、「これはあんまりだ」との意見が掲載された事もあります。

しかしながら、シンガポールはその処遇がどうだからという事で、同情はされようとも、罪を逃れる事はできません。ルールを守らない人は罰される事は言うまでもない事です。外国人ワーカーの中には、ここまでの措置を取るとは思ってもいなかった当事者もいたのではないかと思われます。
同様に日本人が気を付ける事は、日本ではなんでもない事がシンガポールでは許されない場合があるという事です。
海外に住む外国人として、暮らしている国のルールは守る。これは心したいものです。

今回の暴動は、外国人ワーカーなくして成り立たない国となっているシンガポールでは、今後の政府の「労働力確保」「外国人政策」などの方向性にも多少の影響を与える出来事だった様に思えます。